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日中「死刑観」の違いを浮き彫りにした「中国人留学生殺害事件」の判決--野嶋剛



日中「死刑観」の違いを浮き彫りにした「中国人留学生殺害事件」の判決--野嶋剛

中国人の男が、中国人留学生の女性を殺害する事件が、2016年11月に東京で起きた。すぐに犯人の男は警察に逮捕された。単純な殺人事件として、注目されないまま終わってもおかしくない話だ。しかし、それが中国全土の関心を圧倒的に集めるトップニュースに化けた。一方、日本ではほとんど事件のことは知られていない。この日中間の巨大な温度差には、「死刑」に対する日中の司法制度や価値観、考え方の大きな違いが横たわっている。

「東日本大震災以来」

殺されたのは、山東省出身の江歌さん(当時24)という若い留学生の女性だった。犯人は事件当時江さんと同居していた女性・劉鑫さんの恋人だった陳世峰被告(26)。都内の大学院で学んでいた留学生だ。陳被告は、劉さんの自宅前で待ち伏せし、復縁を迫ろうとした。劉さんをかばって立ちはだかった江歌さんの首や胸を、陳被告は何度もナイフでメッタ刺しにして殺した。

12月20日、東京地裁で判決公判が行われた。東京駐在、あるいは、中国から駆け付けた中国メディアのレポーターが地裁前に陣取って、判決前から中継を繰り返す熱の入れようだった。当日、法廷前にいた中国の記者は、「これだけ中国の記者が日本にやってきたのは、東日本大震災以来かもしれない」と語った。確かにそうかもしれない。

35席分の一般傍聴券を求めて、294人の人々が列を作った。私は抽選に外れてしまったが、知人の中国メディアの記者から、運良く当選券を分けてもらった。並んだ人の9割以上は中国人。恐らく過去にはない珍しい状況に、地裁側も戸惑っている様子で、地裁職員を多数動員した法廷内外では、厳戒態勢が敷かれていた。

判決は、検察の求刑通りの懲役20年となった。その判決を聞く間、犠牲者の母親である江秋蓮さんは、被告をじっと凝視しながら、拳を握りしめていた。途中で何度も深いため息をつき、目を潤ませ、震えているようにも見えた。裁判員裁判であり、裁判官が陳被告の「殺意はなかった」という主張を覆す判決文を読み上げていくなか、時折天井を見上げた。

報道の違いに温度差

この事件が、中国で全国ニュースに「昇格」したのは、被害者の母親の江秋蓮さんの力に負うところが大きい。母子家庭でたった1人の娘を失った彼女は、中国版ツイッター『微博』で陳被告の死刑を求める署名活動を展開し、400万人を超えるネット署名を集めた。多額の寄付も集まり、江秋蓮さんは一気に有名人となった。

江秋蓮さんがその主張で掲げたのは、陳被告の「死刑」であった。日本では、殺した人数が1人では、通常、死刑判決は出ない。だが、彼女はこう訴えた。

「娘は私の人生のすべてだった。日本の量刑基準では死刑は出ないという話だが、殺した人の数で量刑が決まるのは、おかしいのではないでしょうか。陳は全く罪がない娘を、残忍な方法で殺したのです。それで極刑にならない方がおかしい。私も陳に殺されたに等しい。一家皆殺しのようなものです」

このアピールは、中国社会の広い同情を集めた。そして、「日本ではなぜ死刑にならないのか」「犯人を中国で裁けないのか」など、多くの議論を呼び、殺人事件は一躍国民的ニュースになったのである。一方的な死刑賛成論だけではなく、日本の法制度との違いを指摘する冷静な意見もあった。江秋蓮さんが、江歌さんの友人の劉さんに対して、「娘を見殺しにした」と厳しく批判したことにも、賛否両方の意見が激しく交わされた。

しかし、日本での事件についての報道は、初公判、判決ともに報じた社はあっても、目立つ扱いとはいえなかった。判決後は、日中の報道の違いに焦点を当てたメディアも出てきたが、最後まで日中間の温度差は解消しなかったといっていい。

この事件について、日本人が関心を持たないことを疑問視する意見も、中国側からは少なからず聞こえてきた。その心情は理解できないことはないが、やむをえなかったいくつかの点がある。

1つは、事件自体に「社会性」が乏しい、という点だ。日本における事件報道の価値判断で重視されるのは「社会性」である。「社会性」とは報道する公益があるということで、大量殺人や誘拐殺人、著名人が絡んだ殺人などはその「社会性」が高いとみなされ、ニュース価値が上がる。

しかし、今回は関係者の3人全員が中国からの若い留学生であり、基本的には、男女間の感情のもつれを原因として、江さんが不幸にも巻き込まれたという構図もはっきりしている。中国人だから日本のメディアは報じないというよりも、本質的に「社会性」=「ニュース性」の低い殺人事件であるから、報道の分量がおのずと小さくなったのである。

一方、中国においては、被害者の母親である江秋蓮さんの積極的な行動によって、「社会性」が獲得された。ただ、彼女の言動はあくまでも中国社会における影響にとどまっており、日本とのギャップを埋めるものではなかった。

中国では「聖域」である死刑制度

江さんの殺人事件については、事件そのものよりも、日中における死刑に対する考え方や制度の違いを改めて浮かび上がらせるという意味で、興味深い部分が少なくなかった。

基本的に、日本も中国も、昨今の世界ではむしろ少数派に属する死刑制度存置国だ。死刑制度の維持については、世論の多数が支持している。だが、その死刑制度の運用面に関する実態には、大きな隔たりがある。

日本では、戦後の裁判で死刑判決が下され、執行されたケースは、1000件に満たない。死刑判決自体が少ないうえ、本来ならば、刑事訴訟法上は6カ月以内に執行しなければならないが、実際は5年以上執行されないという遅延が日常化しており、死刑囚が執行前に獄中死するケースも珍しくない。現在も100人以上の未執行死刑囚が存在しているが、年間の執行数は通常2桁には達しない。

死刑廃止が優勢である国際潮流に加え、再審請求などで冤罪が判明するケースもあるため、運用に慎重さを求める世論は根強く、執行が遅いことで政府を批判する声は強くはあがっていない。

中国では、現在、正確な死刑執行の数は公開していないが、かつては年間万単位での死刑執行があったとされる。現在は「少殺(死刑を減らす)」方針のもとで数はかなり減っているとはいえ、毎年1000人以上が処刑されていると見られている。世界トップの「死刑大国」であることは、国際的に一致した見方だ。死刑制度の高いレベルの運用は、共産党政権の治安政策とも密接に結びき、中国では、死刑はある種の「聖域」となっている。

薬物犯罪でも死刑

ただ、日本の司法制度に慣れている私にとっては、この種の事件で、求刑通りの有罪判決が出たことに「思ったより重いな」という意外さすらあった。被告が明確に殺意を否定していることで、求刑20年に対して、法廷は15年ぐらいの判決とし、バランスをとると想定していたからだ。

しかし、江秋蓮さんは判決後の会見で、「日本の司法に対して失望した」と語っている。その背後に、日本に比べて中国では、死刑に対してハードルが相当に低いことが関係している。

事件をめぐって特に私が想起したのは、中国での薬物関連事件における一連の日本人の死刑判決であった。中国では薬物の密輸や製造は、死刑を含めた重罪に問われる確率が高い。アヘン戦争以来の歴史的な要素もあるのか、薬物に対する厳罰主義があり、2010年には密輸などの容疑で逮捕された日本人が、死刑判決・執行を受けるケースが続いた。

日本では薬物関係の犯罪は死刑に処されることがなく、日本の世論でも疑問視する声が相次いで、当時の民主党政権は中国に対して懸念を表明した。中国側は「薬物関係の犯罪は重大なものである」との態度を崩さず、日本人に対する死刑を執行した。これに対して、日本側も最終的には、中国の主権に属する問題だとして正式な抗議は行わなかったとされている。

前述のように、日本の法律では殺人に対する死刑の適用はあるが、単純殺人で1人を殺した今回のケースに、死刑判決が出る確率は極めて低い。実際、検察の求刑も死刑や無期懲役ではなく、懲役20年だった。

そのため、中国では国内で陳被告を裁くことができるかどうか熱心に議論され、私も中国のメディアや知人からその点を何度も聞かれた。中国の法律では海外で起きた重大事件について、原則的には中国政府も管轄権を有するとしているが、刑事事件は発生地の司法で裁かれるという国際的な常識のもと、1つの事件を2つの場所では審理しない原則には従ってきた。

「摩擦」のリスク

ちょうど今回の殺人事件の判決直前に、日中双方で死刑に関するニュースが流れた。

12月19日、上川陽子法相は、殺人事件の死刑囚2人に対する死刑執行を命令し、同日執行された。各メディアは速報で扱い、大手各紙の1面トップは、この死刑執行のニュースとなった。日本は「どのような犯人が死刑にされたか」ではなく、「死刑執行」自体がトップニュースになる国なのである。

他方、中国の広東省陸豊市では、薬物や殺人の罪に問われた被告たちに対して、公開判決公判が行われた。なんと、大きなスタジアムで市民に参加を呼びかけたのだ。被告らは手錠をつけて陸上トラックを歩かされ、拡声器によって判決が読み上げられた。現地の報道によると、10人に死刑判決が言い渡され、さすがにスタジアムでは刑の執行までは行われなかったものの、そのまま連行されてすぐに執行されたという。

この2つのニュースほど、日中の死刑に関する「隔たり」を象徴するものはないだろう。

刑事事件は基本、各国の主権問題として処理されていることは変わらない。が、中国人の留学生やビジネスマン、あるいは観光客として日本を訪れる中国人が急激に増えているなかで、彼らが絡んだ事件は、今後も増えていくに違いない。今回の事件では、日中の犯罪観や死刑観の違いが、想像以上に大きいことが浮き彫りになった。本来は単純な「事件」が、日中世論の摩擦のタネとなりえるリスクを秘めていることを肝に銘じたい。


野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。
関連記事(2017年12月22日フォーサイトより転載)




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「平成が終わる日」の心構え、半藤一利さんに聞く。天皇陛下の退位まで1年4カ月



「平成が終わる日」の心構え、半藤一利さんに聞く。天皇陛下の退位まで1年4カ月

インタビューに応じる作家・半藤一利さん。『日本のいちばん長い日』『ノモンハンの夏』など昭和史関連の著作で知られる=2017年12月15日、東京都渋谷区

国民統合の「象徴」としての務めを模索し続けてきた天皇陛下が、2019年4月30日に退位する。「平成」という、一つの時代が終わろうとしている。

その意味について、『日本のいちばん長い日』など昭和史関連の著作で知られる作家・半藤一利さんはこう語る。

「陛下の退位は、今の日本人が『天皇』と『皇室』の役割を考えると同時に、今日まで日本が歩んできた道がどんなものだったのかを振り返る機会かもしれません」

いまの日本人が初めて経験する天皇陛下の退位。私たちは「その時」を、どんな心持ちで迎えればよいのか。12月15日、日本大学芸術学部・古賀太教授(映画史)のゼミ3年生が開催した映画祭「映画と天皇」に登壇した半藤さんに話を聞いた。

――「平成」という時代について、半藤さんはどう考えますか。

およそ30年にわたる「平成」という時代。この時代を生きた人の中には、ずっと「昭和」を抱えていてきた人たちがいます。

戦争の悲惨さを経験した「昭和」の人たちが、日本国憲法の下、戦後から「平成」にかけて、平和な国をつくってきた。今上陛下(今の天皇陛下)も、昭和と平成という時代を生きてこられました。

左は「昭和最後の日」の朝日新聞(1989年1月7日夕刊[複製])。右は「平成最初の日」の朝日新聞(1989年1月8日朝刊[複製])。

陛下の退位によって、日本が大きな時代の区切りを迎えることは間違いありません。平成の終わりは、今日まで残り香を漂わせていた昭和が本当の意味で終わることを意味する。いわば「昭和の完全な終わり」になるでしょう。

今上陛下の退位は、いまを生きる日本人が「天皇」と「皇室」の役割を考えると同時に、今日まで日本が歩んできた道がどんなものだったのかを振り返る機会かもしれません。

内外に即位を宣明する「即位礼正殿の儀」に臨まれた天皇陛下(1990年11月12日)

■天皇陛下「即位礼正殿の儀」でのおことば(1990年11月12日)
「さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。

このときに当たり、改めて、御父昭和天皇の60余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心(みこころ)を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守(じゅんしゅ)し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします」

――「平成」を振り返るには「昭和」からの流れを踏まえないといけない、と。昭和天皇と今の天皇陛下、お2人の違いはどのあたりにあると考えますか。

戦前、昭和天皇は立憲君主としての「天皇」と陸海軍を統帥する「大元帥」、2つの役割を担っていました。

1910年(明治43年)に「皇族身位令」という法令ができます。(一定の年齢に達した)皇族の男子は、軍人として大元帥たる天皇を助けるというものです。

1912年(大正元年)の9月、大正天皇の即位に伴い皇太子となった昭和天皇も、陸海軍少尉に任官。この時、昭和天皇は11歳。そこから軍人教育を受けられました。

戦前の昭和天皇は「立憲君主」と「大元帥」の2つの役割を担っていた。

戦後は精力的に地方を巡幸され、唯一訪れることができなかったのが沖縄だった。昭和天皇は最晩年、病床で「沖縄だけは行かなきゃいけなかった」と述べたと伝えられています。

沖縄については昭和天皇の心の中でずっと引っかかっていたのだと思います。これは戦時中、沖縄を犠牲にして本土決戦の時間を稼いだことへの罪の意識があった。

また、戦後も沖縄に基地負担を強いたこと、特に「沖縄メッセージ」のこともお心にあったのではないでしょうか。

「沖縄メッセージ」:1947年9月、昭和天皇が側近の御用掛・寺崎英成を通じて、GHQ外交局長のシーボルトに伝えたとされる意向。米ソ冷戦の中で昭和天皇が「アメリカが沖縄の軍事占領を長期間続けるよう望む」「米国の沖縄占領は日米双方に利益をもたらす」と述べ、シーボルトはメッセージを米国務長官に伝えたとされる。1979年、米国立公文書館で見つかった資料から明らかとなった。2014年9月公表の「昭和天皇実録」でも触れられたが、宮内庁は「発言を裏付ける資料はなかった」としてアメリカ側の資料に依拠する形で紹介するにとどめた。

――一方で、今の天皇陛下は軍人としての教育は受けていない。

終戦時、皇太子だった今上陛下は11歳でした。終戦後も政情不安のため、しばらくは疎開先の日光におられた。

終戦から3カ月ほど経った1945年11月、今上陛下は東京に帰ってこられた時、焼け跡をご覧になって、あまりの酷さに非常にショックを受けられたことだと思います。

太平洋戦争中の疎開生活で、軍艦の模型を手にされる継宮さま(天皇陛下)と義宮さま(常陸宮さま)=栃木県・日光(1944年11月)

――天皇陛下が「象徴」としてのあるべき形を模索された裏には、戦争体験があった。

憲法に基づく国民統合の象徴としての役割を、どうすれば果たせるのか。即位からおよそ30年間、今上陛下と皇后陛下はご自分たちのお考えになった「象徴」としての姿を、お示しになられた。

(かつて日本の委任統治領だった)サイパン島やパラオをはじめ、敵も味方も現地の方も、全ての戦争被害者に対して、哀悼の意を捧げられてきました。また、震災などの自然災害があれば被災地に向かい、避難所で被災者を慰められてきた。

太平洋戦争の悲劇の地「スーサイドクリフ」の上に立って頭を垂れる天皇、皇后両陛下(アメリカ・サイパン島、撮影日:2005年06月28日)

こうしたお務めは、決して日本国憲法に書かれている「国事」ではありません。それでも両陛下は「象徴天皇はどうあるべきか」を模索され、そのことで国民と気持ちを一つにできるんだという思いから、おやりになっているのだと考えます。

――昭和天皇、今の天皇陛下、そして新たに即位される皇太子さまへと「象徴」としての役割が受け継がれていく。

私自身は、両陛下はご自分たちが元気な間に皇太子殿下と雅子妃殿下に役割を譲り渡し、象徴天皇としての道を歩めるように見届けたいというお気持ちだと解釈しています。

両陛下に親しみと同時に尊敬のお気持ちを持っておられる方はたくさんいらっしゃると思いますが、「国民統合の象徴」しての姿はまさに、天皇陛下と皇后陛下が作り上げたものです。

そして、これを新しい日本の若い人たちにも象徴天皇としてのあり方を伝えたいとお考えになり、この国が日本国憲法の下、象徴としての天皇がいる良き国であり続けることを心から願っていらっしゃるのだと思います。

阪神・淡路大震災。避難所で被災者を励まされる天皇陛下(兵庫・芦屋市の精道小学校) 撮影日:1995年01月31日

――今の日本人にとって「天皇退位」は初めてのこと。何とも言えない不安もあります。2019年5月1日の「改元」を、どのような心持ちで迎えればよいでしょうか。

私はもう87歳ですので、その頃には「あの世」に行っていると思いますよ(笑)。

平成が始まった頃、世界は「ベルリンの壁崩壊」「冷戦の終結」といった大きなうねりの中にあった。一方、日本にはまだバブルの空気が残っていた。これが、幸運だったのかどうかはわかりません。

アメリカに従属する流れが今に至るまで続き、国家としての日本の意思や舵取りが、政治の中から見えてこなかった。「世界の中の日本」というものを(為政者が)考えていなかったように思えます。

これからの日本がどうあるべきか、「天皇」というものがどういう形になるのか。それは、平成の後の時代を生きる今の若い人たちの肩にかかっています。






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セカンドキャリアのモデルケース



セカンドキャリアのモデルケース

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来年の春の選抜甲子園へ向けて、夏の終わりから新チームとなってから初めての公式戦として臨む秋季大会が各地で繰り広げられた。ご存知の方は多いと思うが、この秋季大会の成績が春の選抜へと繋がる。地方大会で優勝や準優勝したチームが近畿大会や関東大会などに出場し、今度は各地区での対戦が行われ、べスト4以上に入ると選抜に選ばれる可能性がグッと高くなる。またその地区大会を制したチームは、明治神宮大会という秋の全国大会に出場することとなる。

今回、甲子園ではなくこのタイミングで記事にしたのは、特徴のある指導者がこの秋季大会で活躍したからである。一人は関東大会を制して初優勝し、明治神宮大会にも出場した千葉県にある中央学院高校の相馬幸樹監督。そして、京都大会で初優勝し、近畿大会もベスト4まで勝ち上がった、以前私の記事

http://www.huffingtonpost.jp/yoshinobu-sawai/athlete-second-career_b_7253740.html)にも登場した、乙訓高校の染田賢作部長である。この二人は元アスリートであり、競技引退後、大学院に通い、学校の先生となった共通項がある。

相馬監督は、市立船橋高校で甲子園に出場し、大阪体育大学時代は64回2/3イニング連続無失点というリーグ記録を持つ。大学卒業後は、社会人野球のシダックスに入団し、野村監督時代も選手としてプレーした。その後、大阪体育大学の大学院に入り、修士号を取得。そして今の高校に採用された。中央学院高校はプロ野球選手も輩出し、県内ではいつも良いところまで勝ち上がるのだが、まだ甲子園には縁がない。6年前、中央学院のスタッフは、相馬監督、そして週3日コーチとして来る、当時大学生のOB一人、あと野球経験のない先生2人という環境の中、チームを作り始めた。社会人野球まで経験してきた相馬監督だか、普段は温厚で口調も優しい。野球に対する思いが強いのはもちろんだが、ただ単に練習をさせるのではなく、コーチ以下、組織というものを常に意識してチーム作りに取り組んできた。高校野球には珍しい、野球部のマニュアル本も作成したりしている。

大学院時代は「投手における心理状態尺度の開発とメンタルトレーニングの応用」の研究を行なった。大学院に行った理由は、「後に指導教授になる方が社会人入試というのがあると教えてくれて、野球辞めて社会で役に立つ自信がなかった。あと何で自分が野球選手としてダメだったのか、その原因を突き止めたかった。」と言っている。ここ数年間いろんな苦労があったと思うが、どのようなことを考えてチームを作ってきたのか。大学院時代の経験が今に生きているか聞いてみた。「先行研究から掘り下げて修士論文を書き上げる作業は、野球が上手くなるのと同じような感覚で楽しかった。マニアックになる感覚というのかな・・・。

その感覚で今仕事ができているので、その経験は生きている。」また相馬監督が考える指導とはどんなものなのかという質問に対しては、「指導というより「サポートと環境作り」を意識している。」と言う。これは自身の野球時代の経験、また大学院時代に研究する環境、サポートされてきた経験からそのような意識が芽生えたのであろう。また自身が引退後、会社に残ることを選ばず、今の職業に就いた。セカンドキャリアについてどう思うか?という質問に対しては、「セカンドキャリアは、野球の世界と社会に出た時のギャップを埋めることが一番難しかったので、野球以外でのアイデンティティをいかに作り出せるかが一番重要だと思う。要するに野球で学んだことを社会に活かす方法に気がつけるかどうかが重要なのではないでしょうか。」と言う。大学院時代、そのアイデンティティが磨かれ、コツコツと研究を重ねてきた経験がこの秋の結果につながったのではないだろうか。

乙訓高校の染田部長は、奈良県の郡山高校時代に甲子園を経験。同志社大学に入学し、4年生時には関西学生リーグでリーグ初となる完全試合を達成。高校時代はサードとピッチャーの両ポジションを守っていたが、大学時代、始めは内野手のサードとして入部してきた。入学当初はいきなりベンチに入ってバリバリ活躍するような選手では無かったが、先輩のバッティングピッチャーをしている時、そのコントロールや変化球がすごく良かったことから、本格的にピッチャーに転向。徐々に頭角を現し、3年生から先発投手として活躍し始めた。完全試合を達成した年、ドラフトで当時採用されていた自由枠で横浜ベイスターズに入団した。しかし、思うような結果を残せず、2008年戦力外通告を受けることとなる。その後ベイスターズのバッティングピッチャーを経て、2011年同志社大学大学院に入学。自身の経験から「プロ野球組織の社会化戦略~プロアマ規定を視点に~」というテーマで研究をし、教職免許を取得した。そして、京都の教員採用試験に合格し、2015年現在の乙訓高校の先生となる。乙訓高校も甲子園に縁がない高校であった。

染田部長は、「教職を取るため大学に通うことも考えたのですが、それだけではもったいないと思い、どうせなら+αで大学院に行って研究しようと思いました。」という理由で大学院に入学した。大学院時代の勉強を振り返り、今の指導にこう生きていると話す。

「プロ野球に入り引退するまで野球漬けの毎日でありましたが、大学院で学び始めて人生をしっかりリセットすることができました」。また、セカンドキャリアを研究してきて、今の自分の立場、キャリア形成をどう見るか聞いてみた。「現在は毎日が充実しているので、教員になるまで時間はかかりましたが、この道を進んで良かったと思います。ただプロ野球選手の時にもっと必至に野球しておけばよかったと思います。

特に今、高校生に教えるために本を読んだりすると自分は甘かったと自覚することがあります。また教員としてはまだまだ未熟なので、もっともっと成長しなければ駄目だなと思っています。」高校生の成長を指導していく立場として、もっと自分を成長させなければいけない、生徒の成長と共に自分も成長していけることが今のモチベーションにも繋がっているのであろう。また染田部長が考える指導とは?という質問に対しては、「勉強も野球も一つの道具に過ぎない。それらの道具を使うこと自分を磨くことが大切。野球という道具を使って、礼儀や忍耐力、努力することの大切さなどを学ぶことが大切だと思います。」と言った。「自分を磨く」。今でももっともっと成長させなければいけないと思っている染田部長らしい言葉であった。

相馬監督も染田部長もアスリートとしての経験や反省を今の指導に活かしている。特に今後の人生を考えるうえで重要な時期である高校生達の指導を行う立場で、2人の経験はとても生かされるであろう。

今回、2人のセカンドキャリアについて書いてみた。決して大学院に行くことが正解ではない。ただ、自分の人生設計の中の選択肢として大学院があったのだ。アスリートのセカンドキャリアには様々なモデルケースがある。何が正解で何が間違いかというのはない。ただ、社会で活躍されている元アスリートはもっともっといるはずである。そのようなモデルケースの成功例が世の中に出ていないだけではないだろうか?またこのようなモデルケースがあれば、是非書いてみたいと思う。

来年の1月末、選抜甲子園出場の吉報が二人に届くことを祈りつつ、二人の満面の笑みを見られることを楽しみにしている。

(2017年12月15日「MRIC by医療ガバナンス」より転載)






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霞む「今日の台湾は、明日の香港」という願い--野嶋剛



霞む「今日の台湾は、明日の香港」という願い--野嶋剛

 いま台湾と香港を騒がせているのは、香港民主化に対して支援や協力をしてきた台湾の学者や文化人が、香港への入境を相次いで拒否されているという問題である。

文化人や研究者の「入境拒否」

 12月16日、台湾の中央研究院台湾史研究所副研究員の吳叡人氏と、中央研究院社会学研究所副研究員の呉介民氏が、香港中文大学の学生会が主催するシンポジウムのゲストに招かれて、インターネットから香港の入境ビザを申請したところ、発給を認められなかった。また、12月上旬にも台湾の文化団体「中華文化総会」副秘書長の張鐵志氏も入境できなかった。。彼らはいずれも香港の民主化運動や「雨傘運動」(2014年に起こった、香港政府に対する民主化要求デモ)の活動家と近い関係にあるか、言論界で香港の運動をサポートする発言を重ねていたことから、「黒名単(ブラックリスト)」に入れられたとみられる。

 実は筆者は、11月末に台湾から日本に向かう飛行機でたまたま吳叡人氏と乗り合わせた。その折に吳氏は、「12月に香港に行くのだが、ビザが下りるかどうか、ちょっと心配なんだ」と不安を漏らしていた。これまで台湾から香港への入境を拒否される人々は、主に政党関係者や台湾の「ひまわり運動」(2014年、学生の立法院占拠に端を発した社会運動)の活動家だったので、筆者は「学者だから大丈夫じゃないですか」と答えておいたのだが、それは甘い見方だった。

 入境を拒まれた吳叡人氏は、地元メディアの取材に、「雨傘運動のあと、香港と北京の両政府は民主化への抑圧を決意し、香港と海外の社会運動組織の連帯を断ち切るだけでなく、ブラックリストがすでに学術圏にも拡大して香港の政治的自由が急速に縮小し、香港はもはや『世界の香港』ではなくなってしまっている」と現状を憂えた。

 今年6月末の習近平中国国家主席の香港訪問を経て、香港における政治環境は、急激に厳しいものになっている。2014年のひまわり・雨傘両運動の勃発以来、台湾と香港との間で強まった連帯を断ち切ろうという、香港政府とその背後にいる中国政府の強い意志がくっきりと表れているものだ。

「興味がなかった」という「心の距離」

 先日、東京の立教大学でシンポジウム「香港の過去・現在・未来」が開かれた。日本各地から大勢の香港研究者が集まり、内容は香港の政治、経済、社会、文化、言語、映画など多岐に亘った。

日本の香港研究は本当に分厚い。かなり学術的な内容にもかかわらず、シンポジウムには定員の100人を超える申し込みが集まった。ゲストスピーカーとして講演した香港教育大学の呂大楽教授は、「日本人がこんなに香港問題に関心があるとは思わなかった」と驚いていた。

 日本人の香港研究には伝統がある。昔から日本人は香港が好きで、香港映画に夢中になり、香港の料理に舌鼓を打った。年配の日本人の間では、海外旅行といえば香港かハワイ、という時代もあり、日本社会における香港の認知度は高い。

 一方、筆者の個人的な観察では、香港と台湾はほんのわずかな距離であり、共通の文字言語を有しているにもかかわらず、台湾の香港研究も香港の台湾研究も、あまり厚いものとは言えない。日本の香港研究や台湾研究のほうが、内容も多様で深みもあるのだ。

 それにはいろいろと複雑で歴史的な原因があることは、筆者も理解している。ただ言えるのは、台湾人と香港人の間の「心の距離」は、かつては地理的距離以上に離れていた、ということだ。もっとわかりやすく言うなら、香港人は台湾に興味がなく、台湾人は香港に興味がなかったのだ。

権威主義「中国」とどう向き合うか

 そんな台湾と香港の距離が近づいてきたのは、2014年の「ひまわり運動」と「雨傘運動」がきっかけであり、そこで語られたのが「今日の香港は、明日の台湾」というスローガンであった。

 その意味は、中国大陸の主権下に入ってしまうと、香港のように民主が失われてしまうことを懸念するというものだ。同時に、台湾の人たちの1国2制度への失望と、香港社会への同情心を言い表してもいる。

 一方で、「今日の台湾は、明日の香港」という逆の言葉も、同時に語られていた。これは香港が、台湾のように自らの努力で手に入れた「民主」によって政権選択権や自己決定権を確立することへの期待を指しており、香港の民主派や本土派にとって、台湾が目指すべきモデルになっていることを示している。

 だが客観的にみれば、現在、香港の「民主」は存亡の危機に立たされている。1国2制度のなかで、香港の自治を保証する「2制度」のところがますます弱体化し、「香港の中国化」が進んでいく恐れが高まっている。

 その意味で香港は、「今日の台湾は、明日の香港」ではなく「今日の中国は、明日の香港」に着々と近づかされている、と言えるだろう。一方、台湾に対する中国のアプローチは、できるだけ「今日の香港は、明日の台湾」になるような長期的戦略を描いているに違いない。

 香港の「民主」は確かに悪化しているのに、国際社会の関心は中国市場ばかりに向けられ、香港問題に冷たい、と香港の人々は感じている。しかし香港で起きている問題は、「台頭する権威主義体制の大国・中国にどう向き合うか」という課題であり、21世紀のアジアに生きる我々すべてが直面することだ。

 香港では来年3月、宣誓問題の不備を問われて議席を奪われた民主派・本土派議員たちの空席を争う、立法会補欠選挙も予定されている。「今日の台湾は、明日の香港」という未来が少しでも近づくように、我々日本人も隣人の1人として、香港問題への注意を少しでも払い続ける必要がある。(野嶋 剛)


野嶋剛 1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。

(2017年12月20日フォーサイトより転載)関連記事




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話題になっているマインドフルネスをやってみたら、変なクセを見つけちゃった

話題になっているマインドフルネスをやってみたら、変なクセを見つけちゃった

新卒入社から2年間、土地を売買する仕事をしていました。

毎週、あらゆる不動産情報をかき集めて(宅配ボックスに入っているマンションチラシも!)、データを蓄積。このエリアの坪単価が少しずつ上がっている。この地域は人気がない。この土地を買ってマンション建てたら、利回りはいくらか。全部、数字で評価していました。

ハフポスト日本版に転職して、ブログエディターとして働いている今、1200人以上が登録するブログシステムから毎日20本以上記事を掲載。どの記事にも、閲覧数、SNSのいいね!数、リツイート数、シェア数が表示され、1秒ごとに数字が計算されます。

私は、大学の文系学部を卒業しました。あまり数字とは縁がない世界を過ごしていました。しかし、社会人になって「数字」はなくてはならないものに。複雑で細かい計算をすることはなくても、パソコンの画面のどこかには必ず、数字が現実を映し出していました。

こんなに自分が「数字」という評価軸に翻弄されていることに気づいたのは、先日あるイベントを開催したためです。本屋とフィットネス・ヨガスタジオが併設された「TSUTAYA Conditioning」で行われた、ハフポスト日本版Ladies Be Open「ココロとカラダのサインに気づく、マインドフルネスを学ぼう!」というイベントです。

本に囲まれたスタジオ

私は、今話題になっている「マインドフルネス」にずっと興味がありました。しかし、「瞑想」というイメージ以外、あまりよく知りませんでした。なぜスティーブ・ジョブスや数々の著名な人がはまっていくのか...。1万人以上をカウンセリングした経験のあるマインドフルネストレーナーの渡辺清乃さんに登壇してもらうことになりました。

登壇者の渡辺清乃さん

当日、渡辺さんから学んだことを少し紹介します。

そもそも、マインドフルネスってなに?

実は、マインドフルネス=瞑想ではありません。

瞑想は、マインドフルネスの方法の一つです。

マインドフルネスとは、以下の3つの状態を作ることを表しています。

読んでも、よく意味がわかりませんよね。

では、3分間だけ目を閉じて、心を落ち着かせてみてください。

どんな考えが頭をよぎりましたか。そもそも、集中できましたか。

「今」の自分に注意をはらうことは、案外難しいことです。

私が実際にやってみて

うまくできるのでしょうか...

私は、イベント中に実践した瞑想で思いもよらない思考をしていました。なんと、勝手に頭が参加者の人数を数えていたのです。何も考えないで、自分の呼吸に集中しよう!と決めたのに、1列に〇〇人座っているから、〇〇列あると...。という風に脳みそが勝手に計算を始めていました。

しかし、計算結果が出る前に、別の自分が出てきて「こらこら、何も考えちゃいけないよ」と自分を戒め始めたのです。計算を始めた自分は、何だか罪悪感でいっぱいに。

そんな2人の小さな自分の思考パターンに気づいた頃、3分間の瞑想の時間が終わりました。

「雑念を消さなくちゃ!と思った方はいますか?無意識にダメ出しをしているのかもしれませんね。評価・判断をわきに置いて、雑念もそのまま観察してみてください」と渡辺さん。

私だ!大きく手を挙げようとしましたが、そっと心にしまいました。

思ってもみない「思考パターン」を発見できて、なんだか心はワクワクしました。イベントの後も、こんなに「数字」に支配されやすい自分っていつから存在していたんだろう、とベッドの中でもぐるぐると考え、不動産業やメディアで一生懸命働いている自分に気づいたのです。

あなたの「思考のクセ」を見つけてみよう

私の場合は、「数字」でした。文系の自分とは無縁だと思っていた世界が、実は頭の中を駆け巡っていたのです。それは、不動産で働いていた時からの「クセ」だなと気付いたのも、今。

「上司に報告するときは、必ず計算機を持ちなさい」「外部に伝えるときは、メッセージだけじゃなくて数字を」どちらも社会人になってから教わった言葉です。私はいつしか、便利な「数字」で支配されていました。

しかし、数字以外の評価軸も大切なはず。数字では表せない感情、思い、そして経験...。

自分の中に「軸」を複数持つことは、もっと自分の表現を豊かにしてくれるかもしれません。

私は、「マインドフルネス」のイベントからこんなことを学んだのでした。

あなたは、どんな「思考のクセ」がありますか。

まだ考えもしなかった自分に出会うために、「好奇心」を持って実践してみてはいかがでしょうか。

登壇者の渡辺さんと参加者と記念写真

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ハフポストでは、「女性のカラダについてもっとオープンに話せる社会になって欲しい」という思いから、『Ladies Be Open』を立ち上げました。
女性のカラダはデリケートで、一人ひとりがみんな違う。だからこそ、その声を形にしたい。そして、みんなが話しやすい空気や会話できる場所を創っていきたいと思っています。
みなさんの「女性のカラダ」に関する体験や思いを聞かせてください。 ハッシュタグ #ladiesbeopen も用意しました。 メールもお待ちしています。⇒ladiesbeopen@huffingtonpost.jp

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大宮の風俗店火災、死者5人に。これまでにわかったことは?

大宮の風俗店火災、死者5人に。これまでにわかったことは?

災が発生した風俗店が入るビル=2017年12月17日午後6時30分、さいたま市大宮区 ※一部画像処理(車のナンバープレートと店の電話番号)しています

さいたま市大宮区の風俗店「Kawaii大宮」の火災で、埼玉県警は12月21日、心肺停止の状態で病院に搬送されていた20代くらいの女性が死亡したと発表した。時事ドットコムなどが報じた。

火災の死者は計5人となった。県警は、女性の身元や死因の特定を急いでいる。

また死者のうち3人の身元が判明した。毎日新聞によると、埼玉県志木市の女性(29)、東京都豊島区の女性(25)、さいたま市西区の会社員男性(42)で、女性2人は同店従業員、男性は客だった。

12月21日午後7時現在、各社の報道で判明したことをまとめた。

火災のあった風俗店を現場検証する警察と消防=18日、さいたま市大宮区 

■発生場所は歓楽街「大宮北銀座」

火災が発生したのは、JR大宮駅東口から北へ徒歩5分ほど離れた「大宮北銀座」と呼ばれる歓楽街だった。周辺には風俗店が約20店舗ある。

飲食店、雑居ビル、民家などが密集しており、車が1台やっと通れる程度の狭い道が多い。 

■「ドーン」という大きな爆発音

火災が発生した風俗店の入るビル(奥)=17日午後、さいたま市大宮区 ※一部、画像処理(車のナンバープレートと店の電話番号にモザイク)をしています 

12月17日午後2時ごろ、同店から「煙が充満していて逃げられない」と複数の119番通報があった。消防車など延べ38台、約160人が出動して消火に当たり、約7時間後の午後9時5分ごろに鎮火した

火災が発生した風俗店は鉄筋コンクリート3階建てビルに入居しており、全て同店が占めていた。1階と2階に個室が5部屋ずつ、3階に客の待合室と女性従業員の待機室があった。3階建て延べ約170平方メートルが全焼したという。

日刊スポーツは、出火当時の状況を以下のように生々しく報じた。

「ドーン」という大きな爆発音が周囲に響いた。黒い煙も強い風にあおられて広がる。すすで顔が真っ黒になった人たちが次々と救急車で搬送されていった。髪の毛が焦げてちりちりになった男性や、毛布にくるまった男女が慌てて外に飛び出し、道路に座り込んでいた。

この火災では、20代とみられる女性2人と40代とみられる男性が死亡。搬送された人たちとは別に、3階から性別不明の遺体が見つかった(後に男性と判明)。他に女性1人が重体(後に死亡)、男女7人が軽傷だ。

■出火場所はゴミ置き場か?

火災現場のビルと隣接する駐車場に置かれた花束や飲み物=18日、さいたま市大宮区

毎日新聞は18日、捜査関係者への取材結果として、ビル2階南側のゴミ置き場が出火場所とみられると報じた。

ゴミ置き場にたばこの吸い殻などを置いていたという情報もあり、埼玉県警は可燃性のゴミやたばこの不始末が出火原因の可能性があるとみて調べている。

また、同店は2016年6月にさいたま市消防局から指導を受けていた。朝日新聞デジタルによると、消防局がこの店に定期査察をした際に、1階南側にあった出入り口の外に物が置かれていたため、消防法に基づいて処分するよう指導した。店側はその場で改善していたという。

日刊スポーツは「建物が古く、部屋や階段は周囲の風俗店に比べて狭かった」という同店の利用者の言葉を紹介している。 

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【海外転職者必見】住民票は残すべきか。転出すべきか。

【海外転職者必見】住民票は残すべきか。転出すべきか。

これから海外転職される方で「住民票を残そうか転出しようか」「住民票を海外転出するとどうなるか」と悩んでいる方も多いと思います。住民票は国民年金、国民保険、住民税の支払いに関係します。「住民票を転出すると、国民年金、国民保険、住民税はどうなるのか?」「メリット・デメリットは?」を解説します。また、実際にインド在住の日本人はどうしているのかも伺ってみましたので参考にしてください!

住民票とは

日本で市町村と特別区で作成される住民に関する記録。

海外転職や海外旅行で長期滞在される場合は、住民票を残すか、転出するかを選ぶことになります。

 

そのまま住民票を残す

転出届を出さずにそのまま残すと、海外に住んでいても日本にいる時と同様に、国民保険、国民年金に加入し続けることができます。同時に、海外にいながら保険と年金の支払いを続けることも必要。

 

海外転出届を提出して住民票を転出する

海外に移住、また長期滞在(一年以上の海外転勤、出張、旅行)する時に提出する書類を海外転出届と言います。

海外転職届を提出すると同時に、住民票も転出することになります。

 

期間...転出予定日の14日前から

場所...各市役所

届出人...本人または世帯主

必要なもの...窓口で手続きする人の本人確認ができるもの(運転免許証・パスポートなど)、印鑑、印鑑登録証、住民基本台帳カード

国民年金について

日本に住民票がある20歳以上60歳未満のすべての人に加入する義務がある「国民年金」

住民票を抜くと、国民年金の支払いが義務から任意に変わります。つまり、住民票を抜けば年金を支払う必要がなくなります。しかし、転出した分だけ最終的に受給できる額も減少します。また、加入は続けられるので、そのまま払い続けることも可能。現在の国民年金の保険料は、一月当たり16,490円(平成29年4月~平成30年3月まで)。一年分は、197,880円です。

 

住民票を転出するメリット

・支払う必要が無くなる。

・任意に変わるだけなので、加入は続けられる。

 

住民票を転出するデメリット

・支払わなければ受給額が少なくなる。

国民健康保険について

日本に住民票があるすべての人が加入する「国民健康保険」

住民票を転出すると、支払う必要がなくなりますが、加入することができなくなります。ここが年金と違います。日本にいる時に怪我、病気になった場合、保険が効かないので医療費が高額になります。また、国民健康保険は必要な書類を集められれば海外でも使用できます

 

住民票を転出するメリット

・民間のお得な海外保険で代用可。

 

住民票を転出するデメリット

・日本で怪我や病気になった場合、自費負担。

・国民保険に加入できなくなる。

住民税

前年度の収入に基づいて、毎年1月1日に住民票がある市区町村から課税される税金が「住民税」。

つまり、1月1日現在の住所が日本以外の場所の場合は、課税対象とはなりません。反対に1月1日以降に海外転出届を提出した場合、海外にいながら住民税を支払わなければなりません。

 

住民票を転出するメリット

・住民税を払う必要がなくなる。

 

住民票を転出するデメリット

・日本にいた時の所得額で課税されるので、転職先で収入が少ないと支払いが困難。

インドで働く日本人に聞いてみました

29歳男性

海外転職届を出したので、住民票を転出しています。国民年金も任意で加入しないことにしました。現状の年金システムを考慮すると、積み立てた額以下のお金しか返ってきない可能性があるのが理由です。保険に関しては住民票を転出したため、民間の海外保険に入っています。

25歳女性

住民票は転出しました。経済面を考えるとメリットが多い事が理由です。元々海外は短期間だけ働く予定でしたので、国民年金は加入し続けています。保険は民間の海外保険に加入しています。病気やケガが一番恐いので。

 

二名とも海外転職届を提出し住民票を転出されていました。また、どちらも民間の海外保険に加入されています。

まとめ

経済面を考慮すると、出費を抑えることができるので住民票を抜く方が得策と言えますが、各自の状況に合わせての検討が必要です。住民票、年金、保険といった公的手続きは、航空チケットの取り方と比べると煩わしいですが、重要な事項なので海外に行く前に終わらせてしまいましょう。

Ambassadorのプロフィール

Reeracoen India

インドで活躍されたい方向けの転職支援サービスを運営しています。経験豊富な日本人キャリアアドバイザーが、あなたのインド転職をお手伝いします!

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全員女性の「オーシャンズ8」、予告編がついに公開される

全員女性の「オーシャンズ8」、予告編がついに公開される

男性の窃盗団が、金持ちからかっこよくダイヤモンドを盗む映画はもう見飽きた。

だから1年前にこのニュースを聞いた時、「絶対に見たい!」と思った人も多いのでは。あの「オーシャンズ11」が全員女性で帰ってくる!

主役のデビー・オーシャンを演じるのはサンドラ・ブロック。

他には、ケイト・ブランシェット、アン・ハサウェイ、リアーナ、サラ・ポールソン、ミンディ・カリング、ヘレン・ボナム・カーター、オークワフィーナといった豪華キャストが出演する。

その「オーシャンズ8」初の予告編が、ついに公開された。

映画の詳細はまだ明らかになっていないが、刑務所を出たデビーが、窃盗団を結成してニューヨークで開かれるファッションの祭典「MET GALA」で、ネックレスを盗むというストーリーのようだ。

アン・ハサウェイは超豪華ネックレスを身につけて見せびらかすセレブを、サラ・ポールソンは郊外で暮らす母を、ミンディ・カリングは偽の宝石をつくる専門家を、オークワフィーナはスリを、そしてリアーナはハッカーを演じる

予告編に先立ち公開されたポスター。

その他にも、豪華俳優がカメオ出演するというもある。

2017年は映画「ワンダーウーマン」が、強い女性像で魅了してくれたけれど、2018年も、かっこいい女性が活躍する映画が楽しませてくれそう。

「オーシャンズ8」は2018年6月8日にアメリカで公開予定。

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「いつでもクビにできる」 上司から「日本の法律無視」の退職強要を受けたと男性が提訴

「いつでもクビにできる」 上司から「日本の法律無視」の退職強要を受けたと男性が提訴

グローバル人材向けのリクルート会社に勤める外国籍の20代男性が、勤務先の上司からパワハラや違法な退職強要を受けたとして、会社と上司に慰謝料や未払い賃金など約870万円の損害賠償などを求める訴えを12月20日、東京地裁に起こした。原告男性と代理人弁護士が東京・霞が関の厚生労働省で記者会見し、明らかにした。

公用語が英語。男性も上司も外国籍で日本語を話さない。そんな職場で起きた労働トラブル。男性側の代理人・板倉由実弁護士は「日本の労働ルールが浸透していない職場で、不当に扱われた外国人労働者が、言語の壁から泣き寝入りするケースが多くある」と指摘した。

まず、事件の流れを整理する。

訴状と原告側の説明によると、訴え出た男性はフランス国籍の20代で2015年12月、リクルーターとして採用された。

2017年6月、男性が紹介したある候補者が、顧客企業に採用された。しかし、採用された候補者は、給与に35時間分の固定残業代が含まれていることを「知らなかった」「残業代が支払われない」と不満を抱き、8月に退職した。

ただ、リクルーターである男性自身も「固定残業代については知らされていなかった」ため、自分に責任はないと考えていた。採用後に交わされた内定通知書でも、35時間分の固定残業代について説明はなかったからだ。

ところが、この一件を理由に、男性は1週間の停職処分を言い渡され、パソコン等へのアクセスが禁じられた。

さらに9月5日、男性は上司に呼び出され「退職か、降格か」という2択を突きつけられた。

降格を受け入れて、リクルーターとして会社に残る選択肢も用意されていた。しかし、降格後には、会社のリクルーターが通常利用する転職掲示板へのアクセスを禁止すると言われた。

そのうえで、男性は特定の業界の特定の役職・経験を有する転職候補者と「1週間に5人以上」直接面談するという目標を課せられた。

転職希望者と出会うきっかけが、勧誘電話とイベントへの参加などに著しく限定される中で、「目標は達成不可能だった」と男性は言う。

実際のところ、当の上司も、男性に向かって「もし、私があなただったら他の会社で新しいスタートを考えるよ」と話したという。

激しい言葉で...

男性は「私が何か悪いことをしたという理由を知りたい、客観的な証拠を示してと言ったのに、それは一切出てきませんでした」と嘆く。

処分に納得がいかない男性は9月8日「退職もせず、降格も受け入れない」と伝えた。だが、上司には、あなたは降格だ。目標を達成できなければクビだと言われたという。

さらに上司は、次のようにまくし立てたという。

「もし拒否したら懲戒処分だからな、解雇まで警告書を出し続けるからな、簡単なことだよ」

「何の書類もいらない。解雇するためにはメールで十分。良い選択肢を与えているのに、なぜ戦うのか理解できないね。私たちはいつでもあなたを解雇できる」

「あなたのための場所はない。結局解雇なのだから。あなたは自分で勝手に問題を発生させているだけで、私たちはあなたを解雇する。オーケイ? もう1カ月だけここにいたいのなら自由だが」

「バカだよ、どうしてこんなことしたいの? 単なる好奇心? なぜ歓迎されていない場所にいたいの?」

「じゃあ、月曜日の朝に」

男性はショックを受け、不眠や焦燥感で体調不良になった。

診断書を出したのに...

病院で診断を受けた男性は、9月11日の朝9時ごろ、上司にメールで「診断書を送ります。残念なことですが、治療のために数週間の休みが必要です」と連絡した。

それに対する、上司の返事は「LinkedInの個人アカウントパスワードを教えろ」というものだった(※LinkedInは世界最大の転職SNS)。

「大事に至らないといいね。気分がよくなったら、(降格された立場で)君が戻ってくるのを待っているよ。君のLinkedInの経歴を、新しい肩書きと職責にアップデートしなければならないので、アカウントのパスワードを教えてください」(上司からのメール:9月11日9時6分)

「午後5時までにパスワードを渡さなければ、汚点のついた君の人事記録に、さらなる懲戒処分をするぞ」(上司からのメール:9月11日12時49分)

記者会見で

男性はただでさえショックなところに、このような追い打ちを受け、会社に行けなくなったと話す。いまも通院中で「毎日悪夢を見る」ため、睡眠薬と抗不安薬を飲んでいるという。

「大手のグループ企業なら、労働法規が守られていると思っていました。ところが、私が上司から受けたのは、ハラスメントとしか言いようのない扱いでした」

板倉弁護士は「停職や降格処分は無効で、職場でのパワハラについては会社にも責任がある」と話した。

会社側はハフポスト日本版の取材に対し、「担当者が不在で、折り返し連絡する」と答えた。



社員の半数以上が外国籍で、社内では英語が公用語。

板倉弁護士は「このような職場では、日本の労働法への理解も足りず、日本の法律では違法になるような退職強要が多く行われています」と話す。

外国人労働者は解雇されたら在留資格がなくなる可能性もあり、日本人労働者と比べて不安定な立場にいる。そのうえ、言葉の壁から違法な解雇にあっても泣き寝入りをする事例が多いという。

板倉弁護士は「今回の事件は象徴的。日本で働く外国人労働者へのサポートがもっと必要だ」と話していた。

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2017年の最悪なパスワードは? あの大ヒット映画もランクイン

2017年の最悪なパスワードは? あの大ヒット映画もランクイン

写真はイメージ

パスワード管理用サービスなどを提供するSplashData社が、毎年恒例の「最悪のパスワード100」を発表した。TIMEなどが報じた。

アメリカ・ヨーロッパのユーザーから漏洩した500万件のパスワードデータを元に作成されたランキング。

1位は「123456」でした。逆に、そんなパスワードでエラーにならないのか、という気もしますが、去年も堂々の?1位。

2位の「password」も去年も同順位。アルファベットと数字を組み合わせたワードが要求される時に多用されると見られる「passw0rd」が19位にランクインしました。

数字の羅列や、キーボードの左上から順に打った「qwerty」、簡単な単語やフレーズで「letmein」「iloveyou」「hello」などに加え、今年の特徴として、16位に「starwars」がランクイン。映画「スターウォーズ」シリーズの最新作「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」が公開となった影響もありそうです。

以下がランキングTOP25。

1位:123456

2位:password

3位:12345678

4位:qwerty

5位:12345

6位:123456789

7位:letmein

8位:1234567

9位:football

10位:iloveyou

11位:admin

12位:welcome

13位:monkey

14位:login

15位:abc123

16位:starwars

17位:123123

18位:dragon

19位:passw0rd

20位:master

21位:hello

22位:freedom

23位:whatever

24位:qazwsx

25位:trustno1

パスワードについては、これまでも色々な議論がなされてきました。

数字や大文字小文字のまぜこぜを要求されたり、一定期間ごとに変更を要求されたりといった各サービス提供者側のセキュリティ強化対策が、逆にユーザーにパスワードを忘れさせたり、使い回しさせたりといった点も指摘されています。

パスワード、どんな風に決めて、管理していますか。年末に見直してみてもいいかも...。

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